詩

オープニングページに載せている詩です。
 
 
『愛』
愛は 神より出でたる生命が神へ帰らんとする生命の衝動である
愛は 神より分かれたる生命が元の一つにならんとする生命の衝動である
 
愛は 純粋であり  不順を嫌う
 
愛は 与える事を喜び  独占を嫌う
 
よく自己を愛する者のみが
 
また 人をも愛することができる     
 
園頭広周
『信仰』
 
信仰とは 自分に内在する
神の心を信ずることである
信仰は 自分がするのであって
人のためにするのではない
人のためにといっても
自分の心が安らかにならなければ
自分が救われない    
 
園頭広周 詩集より
   
『謙虚』
魂の偉大なる証拠は
謙虚さである
輪廻転生の中で
学ばなければならぬ
最大なものは謙虚さである
真の道を説くものは
謙虚であって 決して
尊大ぶらない
 
園頭 広周
 
『正法』
『一つ』
一つの宇宙に
一つの太陽に照らされて
一つの地球の上に
一つの生命を生きる
 
一つの愛を喜び
一つの争いに哭き
一つの心を生きる
一つの人間
 
園頭 広周
 
『正法』
『心の広さ』
人間が宇宙の大きさを
理解できるのは
それだけの  
心の広さを
持っているからである。
それだけの広い心を
もっているのに
それを自覚しないで
自分の心をせまいと思っている。
第一の原罪はそこにある。
 
園頭 広周
 
『正法』 3号・1978年
『光暈 (こううん)』
人は 光を待ち望む 
待ち望むのは自分が
暗い側にいるからである
 
今 すでに
神の光の中に
いることを知れ
 
そのことに気づくと
光の中をあゆむことが
できる
 
園頭 広周
 
『正法』・1994年
 
『生死一如』
人は 生まれた瞬間に
死を宣告される
生まれて死なない人間は
ひとりもいない
生きているということはまた
同時に死につゝあるということでもある
刻々瞬々 生きつゝあり
刻々瞬々 死につゝある
生と死とは一如である
生きることのみを考えて
死につゝあるということを忘れると
心は執着をつくりだす
 
園頭 広周
 
『正法』 第2号 1978年
『人生の目的』
人生の目的は
人生の目的を知ることにある
金銭欲、名誉欲、地位欲
支配欲、まして、食欲、性欲
などをみたすために
人間は生まれてきたのではない。
肉についた欲望はみたされても
心の渇きはいやされない。
心の渇きをいやすものこそ
人生の目的とするものである。
人生の目的を知るために
人は生きなければならない。
 
園頭広周
 
『正法』 創刊号・1978年
『新生』
きのうの太陽は
今日の太陽ではない
万物は 日々に新たに新生する
きのうのあなたが
きょうのあなたであってはならない
肉体だけ新しくなっても
心が新生しなければ なんにもならない
 
園頭広周
 
『正法』 5号・1979年
『もう一人の自分』
もう一人の自分
自分の中に
もう一人の自分がいる。
智慧と愛に満たされ、
いまも 神と
通じている自分が
心の安らかさは、
それを知ったとき得られる。
 
(もう一人の自分を知るのが禅定である。)
 
園頭 広周
 
『正法』6号・1979年 
『過去を捨てよ』
過去を捨てよ
あなたは、いつまで
過去の殻を背負って歩くのか。
過去の悲しみに
感傷的な涙を流すのは
反省ではない
過去を捨てる自由が
あなたにはある。
 
園頭広周
 
『正法』4号・1978年
『花ひらく』
時が来れば 花ひらく
待つ心の ゆとりがあれば
花 ひらく
時を待てない人を
おろかという
 
園頭 広周
 
 『正法』7号・1979年
『神理に生きる』
 
神理に順って生きる勢力と
神理に逆らって生きる勢力とに
二つに分かれてきた
 
一方は興隆し、一方は没落する
21世紀はそういう世紀である
 
神を味方とするか
物質を味方とするか
 
園頭 広周
 
『正法』132号・1989年 8月
『努力』
 
宇宙の中の
自分の位置を
自覚するのが
人生の目的である
一歩一歩
努力することによって
悟りに到達する
 
園頭広周 
 
『正法』9号・1979年5月
『勇気』
足ることを知らぬ欲望からは
真の勇気は生まれない
裸になったとき
真の勇気は生まれる
 
裸で生まれて
裸で死ぬ
人生は曰く「無所得」である
 
園頭広周 
 
『正法』11号・1979年7月
『正念』
完全なる調和にみちた
 
美しき光の中にあなたはある
 
我は道なり  われは光なりと
 
想念せよ
 
宇宙エネルギーは
 
あなたが想念した如く
 
形を現すのである
 
園頭広周 
   
『強者』
 
偽の神々を信仰し
 
偽の自己を表現し
 
偽の判断をし
 
自ら心に重荷を背負い込んでいた者が
 
自ら心の重荷を拭い去った時強者となる
 
強者は既に内在せる
 
神の智慧に目覚めた者である
 
園頭広周 
   
『日の出』
元日の日の出は  さわやかである
それは心が新たまって見るからである
心が一新する時  万物が一新する
 
日々に新たに  日々に新たに
心が変われば見る眼が変わる
自分が変われば
世界が変わる
 
園頭広周
   
『人生』
あなたが人生に疲れているのは
 
目的とするべきでないものを
 
目的としているからである
 
物質的 経済的 有限のものは人生の目的ではない
 
精神的 霊的 無限を求める人生は
疲れることなく常に喜びである
 
園頭広周
   
『指導者』
あなたが あなたの指導者である
あなたが 努力しないとき
あなたは なに一つすることはできない
あなたの魂は すべてを知っている
あなたの あなたそのものである魂は
あなたが 神の子であることを知っている
あなたが 独りで静かにいる時
あなたの 神の子の魂は
あなたに 呼びかける
 
園頭広周
   
『心を一つに』
人類誕生の初めには
宗教 国家 人種 民族等の
差別はなかった
神の生きる喜びを語る
一つの心だけがあった。
人々の心を一つに調和させるものは
心だけであって
宗教や国家や人種や民族などではない
人間の原点に帰れば
人々の心は一つになれる
 
園頭広周
   
『春』
春 来たる
神の定めの 春来たる
花開き鳥歌う 春来たる
春なれば 春の自然を讃えよ
空に向いて 神を讃えよ
春なれば 人々よ
心開いて 神を讃えよ
神の子なれば 神を讃えよ  
 
園頭広周
   
『出会い』
人との出逢いは悲しく
人との出逢いは楽し
出逢いの中で泣き
出逢いの中で笑う
泣き且つ笑いつつ
魂は成長する
泣きたい時は 思いつきり泣くがよい
楽しい時は 思いつきり笑うがよい
喜びと悲しみの奥に聖地がある
ことを知って人は偉大となる
 
園頭広周
   
『道』
委せればひらける安らかな道なのに
 
ひとりで迷いの道にさまよい出る
 
キリストはいった
 
「滅びに至る門は広く救いに至る門は狭し」と
 
昔の人はいった
 
「歓楽極まって哀愁多し」と
 
疲れ果てて木枯らしの道に行倒れとなるか
 
嬉々として花園の道を歩くか
 
それはあなたの心ひとつである
 
園頭広周 
   
『行為』
思うことは
行為となって
結果がある
思うことだけでは
運命は変らない
運命を変えるのは
行為である
 
園頭広周 
   
『秋』
春は まき
秋は 刈る
まいた通りのものを刈る
甘き実をまいて 苦き実を刈ることもなく
苦き実をまいて 甘き実を刈ることもない
因果の理法は くらまさずである
誰をも怨むこともない
刈るべきものは 刈って
二度と 苦き実はまくまい
 
園頭広周 
   
『禅定』
 流転する諸行無常の奥に
永遠不変の実在がある
 
変転する運命の奥に
神を自覚している自分がある
 
変転する無常に眼を閉じて
心の眼で真の自分を見つめるのが
禅定である
 
園頭広周 
   
『年が逝く』
冬 去れば
春が来る
苦しいことも
悲しいことも
捨てて
新しい年を迎えよう
春が来る
 
 
 
園頭広周 
   
『信ずる』
 
劣れるも
卑しきもの
恥ずかしきもの
醜きもの 等々
それは偽我である
 
優れたるもの
勝れたるもの
清らかなるもの
美しきもの
それが真我である
 
神が創造られたるものに
劣れるもの
卑しきもの
恥ずかしきもの
醜きものはない
 
ないものはない
ないものをつかむな
 
園頭広周
   
『一瞬』
一瞬 光が からだをつらぬいた
からだは 光の像となった
過去 現在 未来
今の一瞬の中にあった一瞬 
動けなくなった
静かに動いた
自分が動くことは
宇宙が動くことであった
 
園頭広周
   
『秋』
春は まき
秋は 刈る 
まいた通りのものを刈る 
甘き実をまいて 
苦き実を刈ることもなく 
苦き実をまいて 
甘き実を刈ることもない 
因果の理法はくらまさずである 
誰をも怨むこともない 
刈るべきものは刈って 
二度と苦き実はまくまい
 
園頭広周
   
『ふところに』
あめでも おもちゃでも だめだった 
おかあさんに抱かれて 泣きやんだ 
赤ちゃんが求めていたのは おかあさん  
金でも ものでも だめだった 
人が求めているものは 神 
神のふところに抱かれて 
安らかになる
 
園頭広周
   
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Last updated: 2010/2/9

 

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